マスダ動物病院のエピソード
はじめまして、かりんちゃん
2015年9月のある朝、病院に一本の電話が入りました。
「交通事故か何かで体を丸めている猫ちゃんがいると市民からの通報がありましたので、保護しに行ってもらえますか?」
それは静岡市動物指導センターから、負傷動物出動要請の電話でした。
どうやら、民家の玄関口で動けずにいる猫がおり、その家の方がどうしたらよいのか困っているようでした。

そこで場所を確認すると同時に必要な物を準備し、院長とスタッフ2名が急いで往診車に乗り、現場へと向かいました。
現場に行ってみると、植え込みの陰に隠れるように生後5~6ヵ月ほどの仔猫が体を小さく丸めていました。見た限りでは出血やケガは無いように見えましたが、そっと近づいて行っても仔猫はジッとしたまま動こうとしませんでした。

野良猫の場合、人が近付けばすぐに逃げ出したり、ケガをして動けない状態でも「シャー!」と威嚇し、攻撃して来るのが普通です。
しかし、この仔猫は捕まえても身動き一つしませんでした。それが怖くて動けないのか、それとも外見からでは分からないような病気やケガのため動くことも出来ない状態なのか分かりませんでしたが、すぐに仔猫をキャットネット(猫捕獲用ネット)の中へ保護し、急いで病院へと連れて帰りました。

病院に連れて帰り診察を行うと、両方の後ろ脚が骨折している事がわかりました。
しかし骨折だけにしては鳴く元気も無く、やはり何か他に問題があるのではないかと思われました。
そこで体温を測ってみると、なんと35℃とかなりの低体温状態でした。この仔猫は交通事故などにより血圧が極度に低下して命の危険もある、いわゆるショック状態に陥っていることが分かりました。

このような弱った状態では、血液検査のための採血やレントゲン検査などをする事自体がストレスになってしまい危険と判断し、ひとまず安静にさせて様子を観察することにしました。
仔猫を入院室に入れると、相変わらず鳴いたり動いたりする様子はありませんでしたが、午後になると体温は37.6℃と平熱近くまで戻って来ていました。
連れて来た時と比べて状態が悪くなる様子も無かったため、改めて状態を確認するために詳しい検査を行うことにしました。

まずは、血液検査のための採血を行いました。
仔猫は暴れることもなく大人しくしていましたが、突然口を開けて呼吸をし始めました。
これは犬では暑くて温度調節をするためや運動・緊張などでよく見られる仕草ですが、猫の場合よほどの事(重度の呼吸器疾患等)がない限り、口を開けて呼吸(開口呼吸)をすることはまずないため、とても危険なサインとなります。
この状態を詳しく調べるためにはレントゲンやエコー検査をすることが必要ですが、このように呼吸が苦しい状況では、検査を行う時に仔猫が少し嫌がって興奮しただけでも呼吸不全を起こし亡くなってしまう可能性があります。
しかし、検査をしなければ呼吸が苦しい原因が分からないため、短時間で且つ慎重に様子を見ながらレントゲン検査を行うことにしました。

無事に検査が終わりその結果、左右の後ろ足数か所の骨折と、呼吸困難の原因として横隔膜ヘルニアになっている事が分かりました。
それらの状況から、胸から下半身全体を車に撥ねられてしまったのだろうと推測されました。
そして、これらの問題の中で一番深刻で直接命に関わる問題は「横隔膜ヘルニア」です。
横隔膜ヘルニアとは、胸(肺や心臓)とお腹(胃・腸や肝臓など)を隔てている横隔膜が破れ、胃や腸などの内臓が胸の中(胸腔内)に入ってしまい肺が圧迫され、呼吸が苦しくなってしまうという病気です。



仔猫が開口呼吸になったのも、事故で横隔膜ヘルニアになり呼吸が苦くなってしまったためでした。
この仔猫の場合、この状態をそのままにしておくと肝臓や胃・腸などの腹部の臓器が胸にどんどん入り込んで肺を圧迫し、場合によっては呼吸不全で亡くなってしまうこともある危険な状態でした。

そこで翌日ショック状態から大分回復してきたのを確認の上、すぐに緊急手術を行うことにしました。
横隔膜ヘルニアと骨折の手術を一度に行う事は、麻酔時間が長くなるなど逆にリスクを高めてしまうため、まずは直接命に関わる可能性のある横隔膜ヘルニアの手術を最優先に行い、後日状態が落ち着いてから、改めて後ろ足の骨折の手術を行うことにしました。

横隔膜ヘルニアの手術は、お腹を開け胸の中(胸腔内)に入り込んだ臓器を元のお腹の中(腹腔内)へと戻し、破れた横隔膜を縫い合わせて行くといったものですが、交通事故の場合他の臓器もダメージを受けていることが多く、全身麻酔で行う手術に仔猫が耐えられない場合もあります。
手術が成功するかどうかは仔猫の体力と生命力にかかっていました。
また、手術中仔猫は自分で呼吸する事が出来なくなるため、人工呼吸の管理がとても大切となります。このケースでは麻酔時間が長くなると生存率や成功率が低下するため、出来るだけ早くテキパキと手術を終わらせることが重要でした。

仔猫の横隔膜は複雑に破れており、肝臓や胃・小腸の一部までもが胸腔内に入り込んでしまっている状態でした。これらの臓器を腹腔内へと戻し、何とか横隔膜を元通りに縫い合わせることができました。

当初院長の考えでは、仔猫とはいえ野良猫の場合、すでに生後5~6ヵ月まで成長していると、その後人に慣れることはなかなか難しく、恐怖のため攻撃して来るなどとても危険な場合もあるため、治ったら自然に返すことを前提に、避妊手術と耳のV字カット(ノラ猫の避妊手術済みの印となる)も一緒に行い、この日の手術は無事に成功しました。

横隔膜ヘルニアの手術後、麻酔から覚めた時に暴れて手が付けられない状態になってしまう事も考え、壁で覆われている入院室よりも、そのまま移動させることもでき処置などの対応もしやすい組み立てケージへと仔猫を移し、様子を観察することにしました。

麻酔から覚めた仔猫は暴れる様子も無くケージの隅で大人しくしていましたが、とても警戒しているようで、近づくと低い唸り声をあげていました。
この状態で下手に触るなどして人に対して恐怖を与えてしまうと、飼い猫として慣らしていく時に人への恐怖心が取れず慣らす事が出来なくなってしまう場合もあるため、今は負担をかけないよう食事だけ置きそっと様子を見守ることにしました。

翌日の朝改めて様子を見に行くと、動いた形跡はあるものの食事には一切口を付けていませんでした。
このまま食べない状態が続けば衰弱し、術後を乗り越えられないかもしれません。
しかし、今あれこれと治療を行うために連れ出すなどのストレスを与える事が、ノラ猫の場合返って状態を悪化させてしまう事もあるため、今は仔猫の自然な回復を見守った方が良いと判断しました。
そして少しでも食事を食べ体力を回復してもらえるよう、数種類のフードと、見慣れない容器に警戒しているかもしれないため少量のフードを床にも直接置いて、様子を見る事にしました。

次の日、仔猫は食事を食べてくれたのだろうかと不安な気持ちで恐る恐る部屋を覗いてみると、床に置いておいたフードは全て完食してありました。
保護してからずっと食事を食べていなかったので、やっとご飯を食べてくれて本当に良かったなと思うと共に、まだこの仔猫には生きようとする気力があるのだなとほっと胸を撫で下ろしました。

仔猫に食欲があることが分かり、幸い横隔膜ヘルニアの術後の状態も安定しているため、翌日(横隔膜ヘルニアの手術から2日目)後ろ足の骨折の手術を行うことにしました。
骨折の手術もあまり時間が経ってしまうと、折れた部分の筋肉が萎縮して固まり、元に戻す事が難しくなってしまうため、少しでも体力が回復したら早く手術を行う必要ありました。
レントゲンで確認すると、左右の後ろ足に数ヶ所の骨折がありましたが、特に右後ろ足の大腿骨の先端部分が複雑に骨折している状態でした。
その複雑に折れてズレてしまった骨を元の位置へと戻し、骨を専用のピンで固定する手術を行い、こちらの手術も何とか無事成功しました。

こうして2度の大手術を無事乗り越えてくれた仔猫ちゃん。
しかし、骨折した両方の後ろ足をしっかりと使える様になるまでにはしばらく時間がかるため、この時はまだ後ろ足を引きずるように前足のみで歩いている状態でした。
仔猫をこの状態で自然に戻す事はとても危険なため、歩けるようになるまで病院でお世話をする事にしました。

 

次のページへ

 

マスダ動物病院エピソードにもどる