マスダ動物病院のエピソード
さよならきーちゃん…楽しかった日々をありがとう♪
当院では昭和63年の開院当初から、飼い主さんに1〜2ヶ月に1度「マスダ動物病院だより」というおたよりをお渡ししています。
今年(平成22年)の夏にきーちゃんが亡くなり、きーちゃを偲んで、これまでのきーちゃんとの思い出をおたよりに書いてお渡ししました。このホームページにも、その時の原稿をそのまま載せさせて頂きたいと思います。よろしかったらご覧ください。

 

* * * * * * * * * * * *

 

NO.182(H22.9.10月号)
平成22年8月8日の日曜日、病院の大切な仲間のきーちゃんが、一年間の寝たきり生活を終え、静かに息を引き取りました。暖かな日は、病院の外でひなたぼっこをしていたので、きーちゃんのことをご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今月と来月のふた月にわたって、最後まで私達のそばで頑張り続けてくれたきーちゃんのお話をさせて頂こうと思います。

16年前、ある日突然保健所から、白く大きな犬を一頭、院長が連れて戻って来ました。94年にやって来たその子は、1歳半くらいのとても元気な女の子でした。早速その犬にきーちゃんと名付け、その日からマスダ動物病院の大切な仲間となりました。
シベリアンハスキーと紀州犬のMIXのきーちゃんは、身体が大きく声も太くて、まるで男の子の様な女の子でした。
お散歩中に鳩を見るなり鳩をめがけて猛ダッシュ! お水嫌いのきーちゃんを、スタッフのお姉さん達が折角シャンプーしてくれても、綺麗に仕上がった途端にすぐに地べたに身体をこすり付け汚してしまう。

そんなきーちゃんを連れて、スタッフが代わる代わるお散歩に連れて行ってくれました。
あるスタッフが話してくれました。
「元気な頃のきーちゃんとお散歩をした時、一緒に登った山頂でハアハアしながら風に吹かれて富士山を見ました。帰り道ヘビが出て、きーちゃんがヘビをくわえて振り回し、私の足元に落下して山で大声を出し、逃げるように 帰って来たのが忘れられません」
この話を聞いて私は大笑いしてしまいましたが、寝たきりのきーちゃんにもそんな楽しい思い出がいっぱいあったのだと思うと、胸がじ〜んと熱くなりました。

若い頃のきーちゃんは、とにかく元気いっぱい、エネルギーがあり余っているような子でしたので、輸血が必要な重体のわんちゃんに献血をして、命を助けてくれたことが何度もありました。身体が大きいので、ちょっとやそっと血液を採られてもへっちゃらで、採血後もパワー全開で駆け回っておりました。

そんな元気いっぱいだったきーちゃんも、いつの間にかお年寄りの仲間入りをしていました。
見た目も変わらずいつも通り元気だと思っていたのに、ある時ふと見てみると、顔の表情や身体の筋肉の付き方に急に衰えを感じ、その時初めてまたいつかきーちゃんともお別れをする時がやってくるんだな〜と、とても淋しく感じたことを覚えています。きーちゃんが12〜13歳の頃のことでした。

その後、15歳になった頃から徐々に足腰が弱くなって行きました。それでも外に出してもらうと喜んで、一人で右に左にと弾むように飛び跳ね、無邪気に駆け回っていました。

しかしあんなに元気に駆け回っていたきーちゃんも、みるみる脚力が弱まっていき、とうとう昨年の8月のある朝、突然歩くことが出来なくなりました。
そしてこの日から、お別れするまでのとても大切な一年が始まりました。

まだこの頃のきーちゃんは、歩けないと言っても軽く身体を支えてあげれば、スタスタと歩くことが出来ました。本人は歩けないという意識がないのか、前に前に進もうとします。
しかし自分一人では腰が落ちてしまうので、腰を支えてあげなくてはなりません。
中腰で支えるので、短い時間ならいいのですが、しばらくきーちゃんと一緒に歩くと、自分の方まで腰が痛くなってしまいます。若いスタッフならまだいいのですが、ちょっとお歳の私には、とても負担となりました。
そこでスタッフと一緒に考えて、歩行用の補助具を作ることになりました。そこで手先の器用なスタッフが、作ってくれることになりました。

ピンクの可愛い補助具を作ってもらって、きーちゃんはご機嫌にお散歩を楽しみました。
お散歩の範囲は病院の駐車場だけですが、トコトコと張り切ってよく歩きました。
気持ちだけは前向きなきーちゃんは、前に進もうと前足はよく動くのですが、日に日に後ろ足に力が入らず、ナックリング(立っている時に、足先を裏返して足の甲を地面につけた時、自分で戻せない状況のこと:神経麻痺の状況)に加えて、左右交互に足を出して歩くという動作も出来ず、後ろの両足が十字に交差する形で動かなくなって行きました。

足の筋肉が硬くなるので、途中でひと休みして筋肉をほぐすようにマッサージ!
「きーちゃんの足がもっと動きますよ〜に♪」と思いを込めてマッサージしながら励ましたり、時には大きな身体のきーちゃんを抱っこして、ゆらゆら身体を揺らしながらお散歩をしました。
少し歩いてはひと休み。また歩いてはひと休み。
なかなか進みませんが、それでもとても楽しいひとときでした。

そして季節が暑い夏から、優しい風が通り抜ける秋へと移って行きました。
ずっと横になったまま身動きが出来ないきーちゃんに刺激を与えてあげたくて、外に連れ出してみました。
景色の変わらない犬舎にいる時は表情が乏しいのですが、「お外に行こうね〜♪」と抱っこして連れ出すと、急に眼を真ん丸にして輝かせ、とても嬉しそうな表情に変わりました。
そして補助具を付けて、まずは朝一番のお散歩です。
この頃になると、クルクルと右に回ってばかりで、既に前進が出来なくなっていました。そして身体もやせ始め、ちょっと窮屈だった補助具もどんどんゆるくなって行きました。

お散歩の後はお布団を敷いて、のんびりとひなたぼっこです。
まだこの頃は自分で頭を支えることが出来たので、頭を起こしてお布団から可愛い顔を出し、時折目の前を通り過ぎる車や人、ワンちゃん達を目で追って見ていました。老犬とは言いながら、まるで子供のような純粋な目をして、じ〜っと見つめるきーちゃんの表情が、なんとも愛らしく感じられました。
そして何より患者さん達に優しく声を掛けて頂いたり、「きーちゃん頑張ってね!」と応援していただくなど、きーちゃんにとって、ひなたぼっこはとても貴重な時間となりました。

私にとってもきーちゃんとのそんなひと時が、今となっては大切な思い出のひとつとなっています。
若い頃のきーちゃんは、本当は人のことが大好きで甘えん坊なのですが、抱っこされるのが苦手でした。だからきーちゃんのことを、抱っこしたことがありませんでした。
ところが寝たきりになったのを切っ掛けに、全てを預けて受け入れてくれるようになりました。

お別れの時が一歩一歩近づいているのは確かなことだったので、悔いの残らないように、出来る限りのことをしていきたいと思っていました。
その中の一つに、きーちゃんを抱きしめ、思いを伝えるということがありました。若い頃甘えられなかった分、いっぱいいっぱい甘えさせてあげたいと思っていました。

こうして季節は秋から、冷たい風が吹く冬へと向かって行きました。

 

 

 

NO.183(H22.11.12月号)
よく晴れたある日、やさしい風がサッと通り過ぎた瞬間に、病院の駐車場の片隅で、穏やかな表情をしてひなたぼっこをしていたきーちゃんのことが思い出されました。
今でも時々“ああ、きーちゃんに会いたいな〜!”と思うことがあります。

今月もまた最後まで穏やかな表情をして、私達のそばにい続けてくれたきーちゃんのお話をさせて頂きたいと思います。

優しい風に吹かれながら、色々な刺激を受けられるひなたぼっこは、17歳になり日に日に衰えて行くきーちゃんにとって、とてもプラスになっているようでした。
また私にとりましても、慌ただし日々の暮らしの中で心に余裕が持てないような時でも、のんびりと穏やかな表情をして横たわるきーちゃんの姿を目にするだけで、ほんわかと優しい気持ちになれるとても有難いものでした。
車での出入りの時も、きーちゃんが駐車場にいてくれるだけでウキウキと心が弾み、きーちゃんも目線を合わせてこちらを見ているようでした。

10月頃までは穏やかに落ち着いていたきーちゃんも、11月頃から下痢が続き、あんなにあった食欲も落ち、みるみる体重が減って行きました。
いくら動かないとは言っても、必要なカロリーを摂らなければどんどん衰弱してしまうので、お腹を壊さないようにとお薬や処方食を与え、出来る限りいい状態が保てるように、みんなで工夫しながらお世話を続けていました。

しかしほとんど食事を口にしようとせず、顔の表情にも覇気がない日が続き、いつお別れが来ても不思議はないと、内心とても不安な毎日でした。
そこでこうして一緒にいられる内に、きーちゃんとの思い出を作っておこうと、代わる代わるきーちゃんを抱っこして写真を撮ったことがありました。
しかし“もうじきお別れなの?”と心配していた数日後、急にモリモリと勢いよく食べ始めたり、そうかと思うとやっぱり食べなくなったり・・・そんなことをしばらくの間繰り返していました。

そして季節は爽やかな秋から、肌を突き刺す冷たい冬へと移って行き、きーちゃんも冬の到来と共に、元いた犬舎へと戻って行きました。
外は冷たい風が吹いていても、犬舎の中はぽっかぽか! 畳一畳ほどのスペースがきーちゃんのお城です。

冬になり、スタッフのみんなの手厚い看護や心のこもったお世話のお陰で、きーちゃんのお腹の調子も次第に安定するようになって行きました。
しかし自分の力でガツガツ食べていたきーちゃんも、上半身だけでなく、頭を支えることも出来なくなって行き、とうとう自分の力では食べることが全く出来なくなって行きました。
そうなってみると、元気よく食べていた頃のことが、とても懐かしく感じられました。
そして最後はドライフードをミキサーにかけペースト状に伸ばし、栄養価の高い缶詰と混ぜ合わせ、流動食の様にして注射器で与えることにしました。少しずつゆっくりと口の中に流し込み、途中で何度も休憩が入るので、とにか く時間がかかったものでした。

そして寝たきりになった時に、一番気になったことが床ずれの問題でした。
出来たら床ずれだけは作りたくないと思っていたのですが、一日中横になったままなので、どんなに気を付けていても、やはりそれは避けられないことでした。
しかしそれ以上大きくならないようにと、日に何度も身体の向きを入れ替えたり、患部に負担が行かないようにドーナツ型のクッションを当ててみたり、消毒や乾燥の処置をし続けていました。
身体の大きなきーちゃんは、床ずれが出来やすいと覚悟はしていましたが、最初に出来たほんの小さな傷から、あっという間に大きな傷へと広がって行きました。しかしきーちゃんが痛がることが全くなかったことが、何より救いとなりました。

きーちゃんのお世話には、本当に沢山の時間が費やされました。
特に亡くなる前の約半年間は、食事作りから始まり、食事や飲水、排泄の介助、投薬や消毒、それ以外でも硬くなっていく手足のストレッチやマッサージ、血行が悪くなるため起こるむくみの対処、また冷え過ぎてはいないかなど体温の調節、それら全てのお世話を合わせると、やはり2時間近くかかりました。
しかしこうした経験をさせてもらえることは、この仕事に関わる者としてとても有難いことであり、それこそが保健所から保護され連れて来られたきーちゃんが、私達にしてくれた恩返しだったように思います。

また冬の間にお散歩が出来ず、一気に足が衰えていきました。
補助具を付けながら、前足を使って張り切って歩いていたきーちゃんも、春の訪れを感じる頃には、もう既に歩くことが全く出来なくなっていました。“もう一度、歩かせてあげたかったな! 歩く姿が見たかった・・・”でもそれは仕方のないことでした。
そのこと自体が、老いるということなのですから。どんどん衰えて行くありのままのきーちゃんを、ごく自然なものとして受け入れ、そして変わらぬ温かい思いで見守って行けばいい。こうして生きていてくれるだけで、もう充分なことでした。
この頃、何度もきーちゃんに伝えたことがありました。
「どんな状態になってもいいよ。何にも出来なくたっていい。ただ頑張って生きていてね♪」

きーちゃんが病院に来てから、あっという間に16年が経ちました。
元気いっぱいだったきーちゃんが年をとり、弱くなって行く様子を見て、とても淋しくなった時期がありました。いつまでも変わらず元気でいるものと思い、あまり気に止めない時期もありました。
気付くと16年が過ぎ、大きかった身体も小さく、弱々しくなっていました。女の子なのに男の子の様に大きく太い声も、最後は“わんわん”とかすれた小さな声になっていました。寝たきりになり、身体が小さくなって行くのが、本当に早くあっという間のことでした。

病院がお休みの日や、仕事が終わった夜にきーちゃんの所に行き、身体を撫でながらよく話をしたものでした。食事が進まない時でも、「一緒に頑張ろうね♪」と伝えると、急にもぐもぐ口を動かして食べてくれました。どんなに弱々しくなっても、また頑張り始めてくれました。
我も欲もなく、全てを受け入れ優しい表情で静かに生き続けているきーちゃんは本当にすごい!! そんなきーちゃんのそばにいる時が、一番穏やかな気持ちになれました。
「は〜るよ来い!は〜やく来い来い 春よ来い!!」

そして待ちに待った、うららかな春がやってきました。たとえ全く動けなくなったとしても、もう一度のんびりと春の風を感じながら、残された時間をゆったりとした気持ちで生きてほしいと願い、ひなたぼっこを再開しました。
ところが前年の秋と違い、全く頭を動かすことが出来なくなり、何かを目で追うということもなく、ほとんど目を閉じ眠り続け、時が過ぎて行きました。それでも辺りに咲く春の花々に囲まれながら、やっぱりきーちゃんはきーちゃんなりに、きっと全身 で何かを感じ取っていたのではないかと思います。

そしてまたあの暑い夏がやってきました。きーちゃんが寝たきりになり、もうじき1年になろうとしていました。本当はきーちゃんがここまで持ち堪えてくれるとは、誰も思っていませんでした。
時々目と口を半分開いた状態でピクリとも動かないので、あれ?と思って触れてみると、パッと目を開けるので“生きてたんだ〜”と、ホッとしたものでした。だから最後のその時が来た時も、本当に亡くなっているとは思えませんでした。

その時はとても静かにやって来ました。
8月8日の日曜日、いつも通り朝食をあげ始めました。最初はよく食べていたのですが、しばらくするとパタッと止まってしまいました。
無理に与えるのをやめ、きーちゃんの手を取りながら、病院に初めて来た時のことを思いだしながら話し始めました。昔を思い出しながら、随分長い間色々な事があったんだと思ったら、また涙が出てしまいました。
いつもお休みの度にきーちゃんと話しながら、泣いてばかりいた私です。
一番の思いは 「ありがとう」そして次に「ごめんね!」でした。
「ありがとう」は、本当に長生きしてくれてありがとう。どんな状況になっても、頑張ってくれてありがとう。「ごめんね」は、家庭で暮らすような温かさを与えてあげられなかったことに対してのごめんねでした。

どうしても、家庭の中で一緒に暮すような接し方は出来ませんでした。やっぱり淋しくさせたことがあったのだと思います。
その思いを持ち続けていたので、どんな状態になっても、必ず最後までお世話をさせてもらうからねと伝えてきました。この時もそんな話しをしていたら、きーちゃんが急にモリモリと食べ始めました。止まることなくずっと口を動かし、結局全部を食べてくれたのです。
そして最後の方で、急に“ワンワン”と何かを訴え始めました。目を大きく見開き、かすれた小さな声で、しかし全身の力を込めて吠え続けていました。そして再び静かに眠り始めました。

その6時間後、また目と口を半分開けたまま寝ていました。一瞬あれ?と思ったのですが、息をしていました。ホッとしたその5分後、同じように口を開けていたのですが、何となく気になりよく見ると、既に息をしていませんでした。
この瞬間がいつ来てもおかしくないと常に覚悟はしていましたが、いつも持ち直していたので「また今日も大丈夫!」という気持ちがありました。でもとうとうその時がやって来たのです。
やっぱり悲しくて、涙が止まりませんでした。後悔はありませんが、亡くなるのはいつの時も悲しいことでした。
横たわるきーちゃんの身体を、夢中になってブラッシングしていました。それが私に出来る、最後のきーちゃんへのお返しでした。とても綺麗になりました。やっぱりきーちゃんは、美人さんでした! 最期に何も苦しまずに、静かなお別れできたことは本当に有難いことでした。

次の日はいつも通り検査室でいつものお布団にくるまって、一日みんなと一緒にいました。何も知らないココアが、横たわるきーちゃんの所にボールをくわえて持って行き、遊んでいました。そして最後に、病院に咲くお花をみんなで心を込めて棺の箱いっぱいに詰め、仲間の待つ天国に送りました。

これまでずっとスタッフのみんながきーちゃんのことを大切に思い、どんなに忙しい時でも、心を込めてお世話をしてくれていました。スタッフのみんなの優しい思いがあったからこそ、こうしてきーちゃんがしあわせな思いで、静かな最期を迎えられたのだと思っています。そういうスタッフに恵まれたことも、とてもしあわせなことだと感謝しています。
またきーちゃんが亡くなったことを知り、優しい飼い主さん達が、可愛らしいお花や花束を下さったり、きーちゃんの顔を綺麗に石に描いてプレゼントしてくださいました。また生前も病院を訪れた飼い主さん達がきーちゃんに声を掛けてくださったり、応援をしてくださいました。
みなさん、本当にありがとうございました。やさしい人々の思いに包まれながら、きーちゃんは満たされた思いで天国に行けたのではないかと思います。

きーちゃんとの一番の思い出は、青く澄んだ空の下、きーちゃんを胸にさわやかな風に吹かれながら、の〜んびり一緒にひなたぼっこをしたこと。
鳥のさえずりを遠くの方で聞きながら、やさしく時が流れて行き、こんな穏やかな時が永遠に続くといいな〜と思ったものでした。
そんな思い出を沢山くれたきーちゃんに、いっぱいのありがとうと、「18年近く、本当によく頑張ったで賞」を贈りたいと思います。
きーちゃん、本当に本当にありがとう♥
担当 増田葉子

 

マスダ動物病院エピソードにもどる